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2021/06/07

終活と余命宣告

 終活を考えるにあたって余命宣告は頭をかすめます
癌になった場合現代では本人に病名の告知がなされます
当然、余命はどのくらいですかという問いが生まれ
医師は余命~カ月とか~年とか教えてくださるわけです

しかしこれはあくまでも統計上の平均値ですので
そのあたりで亡くなる方が半分いらっしゃるとも言い換えられます
余命宣告を受けた期日を迎えても半分の方は生きていらっしゃるということです

この余命宣告で暗示にかかってその通りに逝く方もいるのではないでしょうか
個別にみたら平均値というのはあまり意味がありません
癌の部位とステージで平均値は出るかもしれませんが
末期癌でも治る方はいますし、しかも奇跡というには多い確率でいます
反対にそんなに深刻でないステージでもあっけなく逝ってしまうケースもあります

皮肉なことに手術が成功して退院したら交通事故で逝ってしまうことだってあります

何が言いたいかというと、人はいずれは必ず死ぬのですから
たとえ今健康であって、死などとは無縁であるように思えても
一日一生と思って、今日を悔いなく生きていきたい
いつ死んでもいいように心がけたいと、考えています

まして70代に入るとヒタヒタと忍び寄るのを
感ぜざるを得ず、しかしまだまだ先のような気もする
という矛盾した心境にいます


2021/05/31

5/9 母没す

 母が饅99歳で没しました
一世紀を生き切ったわけですが
立派な最後でした
ストイックに生きて老後の資金を貯め
結果的に子供に負担をかけずに逝きました
生に執着せず、しかし早く還りたいともいわず
延命治療は拒否し
自らの意思で老衰を全うしました

妹一家の受け入れと献身、姉のサポートを以て
天寿を全うしました
私自身がすでに終活に入っているにあたり
母から一つのモデルを指し示してもらったような
最期でした

青春時代、満州にわたり敗戦をくぐり
戦後の復興と高度成長、そしてリーマンショックを潜り抜け
時代を生き切った母親

大正世代の心意気でした

私は昭和終戦時のベビーブームに生まれ落ちた
雑草のような世代
母親とは違った形で
子孫に、素晴らしい日本を、世界を遺していきたい
直接子供たちに何をしてやれたわけでもなく
愛情薄きわが身を恥じつつ
しかし新しき創世記をつくる
その小石を、積み上げてきたことを誇りに思いたい


いま、日本の民主主義の大きなターニングポイント続

 昨17日の兵庫県知事選挙の開票と同時に斎藤氏の確定が出ました。 本日18日の集計結果を見ると下表のようになります。 斉藤氏の票がすべて浮動票でほかの候補者がすべて組織票であったと仮定すると 投票率55.7%が53%に下がると接戦52.5%では落選になってしまう。 計算して改めて...