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2021/06/16

先祖孝行

 母の死去で、自分も分骨をしてもらうことが出来
自分の納骨壇に祀る準備を始めました
この機会に父親や直系の祖父母、曽祖父母と気になる先祖をリストアップ

既に50年以上も前の方がもいらっしゃるし
暗い世界に迷っている感じもありませんので
成仏していただきたいというものではありません

そんな折、曽祖父が書き残した書面が手に入って読みましたら
戊辰の役で敗退し、財産・生活の糧をなくし
両親と3人の子供を抱え昼夜問わずの労苦を知ったとき
先祖に対する感謝がわいてきました

この書面の締めとしては

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以上30件其の他婚儀・年賀・仏事・病難等種々の困苦を挙げて数えればキリがない
暫くその日の糊口を凌ぐ中にも自分と妻が昼夜を問わずの労力を以て
動産不動産を求めたるものであり、遺産や財産を受けたものではない
自分たち老衰の糊口は足るものとし
死後遺産は子孫に与えるものの生活資本の為ではない
子孫はこれを保全し祖先の祭祀の料に備えるものである
子孫自からの労力によって得られたものではなく預かりものである
ゆえに自由に使ってよいものではない
要は男子たるもの20歳を過ぎ自分の衣食は何業なり従事して自活するのは勿論
妻を娶り子を持つとも其の養育・老父母があっても他人の厄介にならず
上記のように労力によって資産を得て一家の基本となすべきと云いおく
篤と感動し懈怠することがあってはならない
以上のことユメユメ忘却すること勿れ

明治36年(1903)10月 〇〇関衛慎興六十八遺書(68歳)
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とあり、図らずも”子孫はこれを保全し祖先の祭祀の料に備えるものである”
に 従うことになります
母が遺してくれた財で総勢15名の納骨法要を執り行うことにいたしました

2021/06/07

終活と余命宣告

 終活を考えるにあたって余命宣告は頭をかすめます
癌になった場合現代では本人に病名の告知がなされます
当然、余命はどのくらいですかという問いが生まれ
医師は余命~カ月とか~年とか教えてくださるわけです

しかしこれはあくまでも統計上の平均値ですので
そのあたりで亡くなる方が半分いらっしゃるとも言い換えられます
余命宣告を受けた期日を迎えても半分の方は生きていらっしゃるということです

この余命宣告で暗示にかかってその通りに逝く方もいるのではないでしょうか
個別にみたら平均値というのはあまり意味がありません
癌の部位とステージで平均値は出るかもしれませんが
末期癌でも治る方はいますし、しかも奇跡というには多い確率でいます
反対にそんなに深刻でないステージでもあっけなく逝ってしまうケースもあります

皮肉なことに手術が成功して退院したら交通事故で逝ってしまうことだってあります

何が言いたいかというと、人はいずれは必ず死ぬのですから
たとえ今健康であって、死などとは無縁であるように思えても
一日一生と思って、今日を悔いなく生きていきたい
いつ死んでもいいように心がけたいと、考えています

まして70代に入るとヒタヒタと忍び寄るのを
感ぜざるを得ず、しかしまだまだ先のような気もする
という矛盾した心境にいます


2021/05/31

5/9 母没す

 母が饅99歳で没しました
一世紀を生き切ったわけですが
立派な最後でした
ストイックに生きて老後の資金を貯め
結果的に子供に負担をかけずに逝きました
生に執着せず、しかし早く還りたいともいわず
延命治療は拒否し
自らの意思で老衰を全うしました

妹一家の受け入れと献身、姉のサポートを以て
天寿を全うしました
私自身がすでに終活に入っているにあたり
母から一つのモデルを指し示してもらったような
最期でした

青春時代、満州にわたり敗戦をくぐり
戦後の復興と高度成長、そしてリーマンショックを潜り抜け
時代を生き切った母親

大正世代の心意気でした

私は昭和終戦時のベビーブームに生まれ落ちた
雑草のような世代
母親とは違った形で
子孫に、素晴らしい日本を、世界を遺していきたい
直接子供たちに何をしてやれたわけでもなく
愛情薄きわが身を恥じつつ
しかし新しき創世記をつくる
その小石を、積み上げてきたことを誇りに思いたい


Bugatti_type_50_coupe

 この年になってIllustratorに挑戦 いろいろ戸惑って 思うようには捗らず しかし操作しなければ慣れず 試行錯誤しながらのサンプルです