MK氏、仕事中、腰・背中が痛いと訴え
皆から医者に診てもらう様進言されるも
忙しさに快感を持つMK氏は整体くらいで放置
結局耐え切れず病院に
脊椎の故障で大手術
長期療養とリハビリになってしまいました
象徴的なのは痛みに耐えかねて出勤を諦めた時
間髪入れず介護用ベッドを手配購入していました
それを知った我々は絶句
MK氏の深層心理が露呈した瞬間でした
深層心理には善悪の判断がありません
本人が強くイメージしていることを
そのまま実現してしまうのです
MK氏、仕事中、腰・背中が痛いと訴え
皆から医者に診てもらう様進言されるも
忙しさに快感を持つMK氏は整体くらいで放置
結局耐え切れず病院に
脊椎の故障で大手術
長期療養とリハビリになってしまいました
象徴的なのは痛みに耐えかねて出勤を諦めた時
間髪入れず介護用ベッドを手配購入していました
それを知った我々は絶句
MK氏の深層心理が露呈した瞬間でした
深層心理には善悪の判断がありません
本人が強くイメージしていることを
そのまま実現してしまうのです
〇低学年
学校に上がる前か小学一年制になったころか
通学道路わきに 怪しく光る水溜まり(油が浮いている)
打ち捨てられたパンチングテープ
今思うと事務処理をするときのデータかプログラミングの穿孔テープ
子供の遊び心を刺激していた
紙石鹸、砂石鹸などで手について工場の油や衣服を洗ったり
学校では逆上がりが出来ず苦戦した 運動会ではかけっこがビリ 運動には劣等感がありまくり トイレットペーパーなどは存在せず新聞紙、良くてざらっとしたちり紙 外便所で夜は暗くて、親父が置いたバッテリーランプが頼り 八百屋の釣り銭籠、醬油、ピーナッツなどの量り売り
〇高学年
お風呂やで高学年の時女風呂に入ってからかわれた 石炭のいわゆる達磨ストーブと囲い 自転車を借りて、側溝でひっくり返った、親に言えず叱られた
当時人気のラジオドラマ「一丁目一番地」、「土曜の夜の贈り物」 ラジオがメイン、白黒のテレビ 手廻し60回転の蓄音機、竹の針から 33回転LP、45回転ドーナツ盤に代わって聞いたときは絶句
いつかこれらについて語りたい
記憶力は年齢と共に落ち
受験勉強能力は二十歳前後がピーク
知識は新しいものを仕込むと古いものは消えるし、体力も落ちる
しかし、年をとるごとに経験値は上がり問題解決能力という知能は限界がない
この経験の部分は他の人は追い抜けず出来ないものが出てくる
人生には、いろいろな楽しみがあるものだ
『希望の法』から要約
左耳、固化した耳垢を小指で剥がしましたら その後時間が経って小さな塊が出てきました。 そのうち左耳がガサガサと音がするので 以前から一度耳鼻科で耳の奥を診てもらうつもりもあったので 受診しました。
結果耳の奥で耳垢が穴を塞ぐ感じで鎮座 医師によれば奥なのでピンセットでの摘出はむり 吸引してみましょうと、トライしたけどこれも失敗 そこで洗浄ということになりました。
耳の中に水を入れて洗浄というのは想像にもしなかったことですが 何やら薬剤を入れて柔らかくなったら洗浄するとのこと 耳の中でパチパチ音がして20分くらい 時間になったら金属製の皿を耳に押し付け持たされたあと 洗浄を始めてまもなく、出た!出た!
受け皿を見せてもらいましたら容器の中に耳垢が沈んでました その後は耳の中を乾燥してもらいサッパリ あらためて内視鏡で確認しましたら 右耳同様綺麗になってました
これでまた数十年は安泰か?
信仰心とは「神仏の世界を知るための鍵」
信仰心とは「神の世界を知る力」
自分より悟りが高い人の導きを素直に受け入れること
悟りが高いとより、神仏の心境に近いということです
晩年を意識して早、5年が経ちました
明日明後日ではないけれど、着実に近づいているわけです
それが怖いという感情はありません
怖いのは
痛かったらいやだな
それが長引いたらいやだな
出来ればゼンマイが切れたように
(今ならバッテリーが切れたように)
突然お迎えが来てくれたらいいな
とか、そんな感情、希望はあります
私の同輩と会うチャンスを増やしているのですが
骨折したり
開頭手術を受けて寝たきりになったり
心不全や、脳梗塞のあと足元が不自由ながら毎日散歩を習慣化していたり
白内障の手術を受けていたり
人工肛門を装着していたり
足の関節の痛みで遠出ができなかったり
この世代になると何も体に異常がないという人が僅か
そんなことからもゴールが近い、近づいている
ということを実感せざるを得ません
私は「来世」の存在を知り、学んできた故
晩年を迎えても焦りもなく居られます
それが結果的に健康を保てているとも思います
知るべきは「神の世界」
死んでから知るのは難しい
そういう世界があることを知らなければ
死んでから理解することは困難です
地球も、太陽系も、銀河宇宙も「神の世界」の一部です
信仰心を持つということは生きている時から欠かせないものです
つくづく「私は信仰に出会って幸運だった」と実感します
例えば
貧乏にはなりたくない
風邪にはかかりたくない
老後の認知症や寝たきりにはなりたくない
心配事はきりがない
しかし心配すればするほど
そのイメージが深層心理に沈殿し
深層心理が仕事をしてその状況を生き寄せる
大事なことは
備えはすれど
積極的建設的な念いに切り替え
心配している時間を減らしていくこと
これが心のレバーをどちらに切り替えるか
幸福な方に倒すか不幸な方にレバーをひねるか
こんな単純なことのだけれど
実践する人は少ない
恐怖心は努力しないと
祓えない
幸福になりたくば
決意して
恐怖心から決別していかねばならない
今75歳
心配すればきりがない
しかし
晩年の準備はしつつ
楽天的に生きていこうと
改めて決意した
ご利益信仰
命がかかったときに炙り出される
浮かび上がる 暴かれる 隠せなくなる
皮肉なことにご利益信仰では奇跡は起こせない
顧みるに
自分がやってきた信仰には不純なものが混じってた
晩年に入ってきたらこそ
純度を高めていかねばならない
つくづく
考え方も
生き方も
シンプルにしていかねばならない
しかしシンプルではあっても多様性は認めなければならない
ここら辺はまだまだ自分の考えがまとまっていないが
2023/7/7
昨17日の兵庫県知事選挙の開票と同時に斎藤氏の確定が出ました。 本日18日の集計結果を見ると下表のようになります。 斉藤氏の票がすべて浮動票でほかの候補者がすべて組織票であったと仮定すると 投票率55.7%が53%に下がると接戦52.5%では落選になってしまう。 計算して改めて...