信仰心とは「神仏の世界を知るための鍵」
信仰心とは「神の世界を知る力」
自分より悟りが高い人の導きを素直に受け入れること
悟りが高いとより、神仏の心境に近いということです
晩年を意識して早、5年が経ちました
明日明後日ではないけれど、着実に近づいているわけです
それが怖いという感情はありません
怖いのは
痛かったらいやだな
それが長引いたらいやだな
出来ればゼンマイが切れたように
(今ならバッテリーが切れたように)
突然お迎えが来てくれたらいいな
とか、そんな感情、希望はあります
私の同輩と会うチャンスを増やしているのですが
骨折したり
開頭手術を受けて寝たきりになったり
心不全や、脳梗塞のあと足元が不自由ながら毎日散歩を習慣化していたり
白内障の手術を受けていたり
人工肛門を装着していたり
足の関節の痛みで遠出ができなかったり
この世代になると何も体に異常がないという人が僅か
そんなことからもゴールが近い、近づいている
ということを実感せざるを得ません
私は「来世」の存在を知り、学んできた故
晩年を迎えても焦りもなく居られます
それが結果的に健康を保てているとも思います
知るべきは「神の世界」
死んでから知るのは難しい
そういう世界があることを知らなければ
死んでから理解することは困難です
地球も、太陽系も、銀河宇宙も「神の世界」の一部です
信仰心を持つということは生きている時から欠かせないものです
つくづく「私は信仰に出会って幸運だった」と実感します