晩年に入ったなら、こうしたテーマに向き合うべきでしょう
信仰と言うと、信仰の原点はいったいどこにあるかと言うと、私たちが神によって創られたという創造の秘密にあります
私たちが神によって創られたということを信じるか、そして神によって創られた私たちが、永遠の生命のなかで 無限の転生輪廻をくり返しながら魂修行をしているという、その説を信じるか、ということです
この信仰心と言うべきものは、従来使われている信仰心という言葉で表現される内容ではありません。ここでいう信仰は、事実の確認そのものであるということであります
新実の確認そのものであるということであり、そうした大いなる叡智の断片を見たということであり、仕組みを見たということの確認です
見たという以上、これを知るということ、そしてそれを受け取るということ、了解するということ、そしてこれを信ずるということ、この行為を「信仰」というのであります
信仰というのは、けっして摩訶不思議なものに対して祈ることでも何でもないのです、それはこの宇宙創造の秘密を知り、 人間創造の秘密を知って、そして、それを 納得のいくものとして理解することです
宇宙創造の秘密を知ったならそこに流れる「宇宙の理法」に沿うべきだと考えなければなりません
この宇宙の理法の一つとして「因果の理法」があります
「善因善果、悪因悪果」です、また「縁起の理法」でもあり「代償の法則」でもあります