私は、すぐ感謝の気持ちをなくします
感謝は努力しなければすぐ忘れてしまいます
そして足らざるを嘆き不満が募ります
しかし、年齢を経ても五体があること
多少動きが鈍くなっても動くこと
朝目が覚め、朝食をとり、通勤する先があり
そこまで自ら移動でき、他の人から邪険にされず
時間を須吾自たら帰る家があること
どれをとってもあたりまではないのに
感謝を忘れ不満を持つ
それこそ罰当たりではある
生まれた時はこの体しか持っていなかったのに
私は、すぐ感謝の気持ちをなくします
感謝は努力しなければすぐ忘れてしまいます
そして足らざるを嘆き不満が募ります
しかし、年齢を経ても五体があること
多少動きが鈍くなっても動くこと
朝目が覚め、朝食をとり、通勤する先があり
そこまで自ら移動でき、他の人から邪険にされず
時間を須吾自たら帰る家があること
どれをとってもあたりまではないのに
感謝を忘れ不満を持つ
それこそ罰当たりではある
生まれた時はこの体しか持っていなかったのに
現代人は真の意味での非科学的な中で生きていると思われます
科学的とは「因果の理法(原因結果)」であり宗教的に言えば「善因善果、悪因悪果」
ということになります
物質的な分野では科学的なもの以外は信じないといって「因果律」を追求しながら
精神的なものではこれを否定します
話は飛びますが「進化論」
人間はアメーバから突然変異を繰り返して人間まで進化した
というが本当に信じられるのでしょうか
物事は放っておけば無秩序に向かうのです
生物が長い時間をかけて進化したことは事実でしょうが
「それが自然に任せてより高度になる」ということが解せません
より高度なものにしていくためにはそれを意図しより高度なものにしていこうとする
意思とたゆまぬ創造の努力が無ければ進みません
4ビットのマイコンが自然に任せていたら16,3264ビットのCPUに進化し
且つ複雑なプログラムを生み出すというようなことを信じられるでしょうか
そこには大勢の有能なエンジニアがCPUのみならずそれを製造する機械装置まで
たゆまぬ努力と時間をかけて成し遂げてきているのです
ましてやそのシステムや素材成分も含めまだまだ解明しきれていない人体程のものがどうやったら自然に創造できるのでしょうか
AIがいくら進んでも創造はできません、過去の膨大な経験則をもとに最善手を導けても電力の供給を止めてしまえばおしまいです、経年変化で老朽化しても、より高性能なチップを開発製造し自ら進化することなどできません
今、人間は自らの霊性を否定し単なる自己増殖性を持つロボットに成り下がろうとしているようです
数学的には20数次元あるいは30数次元まで存在するのではないかと考えられても、信仰を持たなければ4次元の世界の存在ですら否定してしまいます
多くの人々はあの世は見えないので存在せず
死後の世界はないのだと豪語しております
しかしこの世だけでみると「因果の理法」は不完全です
しかし宇宙の理法「因果の理法」は例外がないのです
そしてこの世で帳尻が合わなかった「善因善果、悪因悪果」は
あの世、来世に至って完結します
地獄があるのです
本当はこの世で「因果の理法」が適っていれば地獄はないのですが・・・・・・
晩年に入ったなら、こうしたテーマに向き合うべきでしょう
信仰と言うと、信仰の原点はいったいどこにあるかと言うと、私たちが神によって創られたという創造の秘密にあります
私たちが神によって創られたということを信じるか、そして神によって創られた私たちが、永遠の生命のなかで 無限の転生輪廻をくり返しながら魂修行をしているという、その説を信じるか、ということです
この信仰心と言うべきものは、従来使われている信仰心という言葉で表現される内容ではありません。ここでいう信仰は、事実の確認そのものであるということであります
新実の確認そのものであるということであり、そうした大いなる叡智の断片を見たということであり、仕組みを見たということの確認です
見たという以上、これを知るということ、そしてそれを受け取るということ、了解するということ、そしてこれを信ずるということ、この行為を「信仰」というのであります
信仰というのは、けっして摩訶不思議なものに対して祈ることでも何でもないのです、それはこの宇宙創造の秘密を知り、 人間創造の秘密を知って、そして、それを 納得のいくものとして理解することです
宇宙創造の秘密を知ったならそこに流れる「宇宙の理法」に沿うべきだと考えなければなりません
この宇宙の理法の一つとして「因果の理法」があります
「善因善果、悪因悪果」です、また「縁起の理法」でもあり「代償の法則」でもあります
これは7-11の前でご主人を待つワンちゃん
行儀も姿勢もいいですね、見てるこちらも背筋が伸びます
方やタイのワンちゃんたちは空腹もあるかもしれませんが
気も使わず自由を満喫しているのではないかと思います
両者とも身の危険はないようです
人々が貧しく餓死しそうな国にいたら
先ず己の安全を確保しなければならないでしょう
小学生のころ、道を歩いていると
水溜まりが虹色に光っていた
町工場の前の水溜まり
油が道に流れ込んでいたのだろう
そんな町工場で使っていた油落としが
ジャリジャリの近石鹸や薄っぺらい紙石鹸
そんな通り道には丸まった穴明きテープが転がっていた
当時、コンピュータは穿孔テープでデータの読み込みをしていた
結構丈夫な紙テープで
集めて遊んでいた気がする
他当時の祭りの匂いも思い出した
夜の明かりはカーバイドの明かり
独特の匂いがしていた
(カーバイトランプ:
上部が水タンクで下部がカーバイト(炭化カルシウム)を入れるタンク
上の水タンクから水滴が落ち、カーバイトタンク内で化学反応して
アセチレンガスが発生、そのガスで炎を出すランプ)
ほかに ”金魚すくい” や ”綿あめ”、”おもちゃのカメラ”
なども屋台に出ていた
”おもちゃのカメラ”では嫌な思い出もある
コップとコインの手品をやっていてどちらにあるか当てたら
カメラがもらえる
「お金がないよ」というとタダでやらせてくれて見事あたる
がもちろんお金を出していないのでカメラはもらえない
うちに帰ってお金をせがんで、おじさんのところに行くと
見事外れてお金は没収されてしまう
子供相手にアコギな手口だなと思う
でも当時、活気だけはあった、生活は楽ではなかったが
エネルギッシュだった
ちょっと出張の合間に寄ってみました
中には入らず屋外展示場で
危難るのは国産機
中でも三菱MU-2
当時と現在は状況が違いますが
なぜMU-2は挫折し、HONDAJETは成功しているのか
たった一人の卓越した情熱課が居たか
そんな風にも見えます
やはり後から世に出るものはOnlyOneの何かを持たなければ厚い壁を破れない
と感じます
MU-2採算ベース時代背景も含め不運が重なりました
経営的な判断はファンの思惑とは別ですが結局
製造権を
売ってしまったようです
なかなかお気に入りだったのに・・・・・
HONDAJETもまだ採算ベースには乗ったとは言えませんので
ぜひこのまま成功してもらいたいものです
しかしHONDA JETの独創性は他の追随を許さないので
環境の変化には耐えられそうな気がします
昨17日の兵庫県知事選挙の開票と同時に斎藤氏の確定が出ました。 本日18日の集計結果を見ると下表のようになります。 斉藤氏の票がすべて浮動票でほかの候補者がすべて組織票であったと仮定すると 投票率55.7%が53%に下がると接戦52.5%では落選になってしまう。 計算して改めて...