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2023/06/22

自分の中で時には自分をほめてみるのも

 延々と続く道
高速道路ひた走り

1990/3 42歳 蕨から社へ片道 600Km
1995/2 47歳 前橋から盛岡片道 570Km
1999/7 55歳 前橋から湯布院片道 1200Km
2016/10 68歳 東京から富山氷見片道 470Km
2023/2 75歳 (認知症検査、運転実地、運転機能検査いずれもパス)
2023/6/27現在 千葉へ往復200Km弱の日帰り 現役


自分で自分を褒めてみよう

学生時代
・中学ブラスバンドの活動 関東コンクール 高崎ホール
・高校3年生3学期になって急に学力向上
・大学、英語での実験卒論レポート
( そして卒業時の修羅場の克服 )

社会人
・社内 作業分析講座でTopの成績
・ガスバーナーの商品開発専門誌での高評価
・QC事務局 QC発表会のパーフェクトな7分間プレゼンテーション
・Oh!FM誌で囲碁ソフト掲載
 再帰法を使った地の評価、フロッピー販売と謝礼10万
・1億円Project HSPlan 生産管理システム構築
  生産予定のシミュレーターソフト開発
  群馬・兵庫の製作所展開
・互助会葬儀精算システム構築 群馬・宮崎・埼玉・東京展開
・HS葬儀の普及展開と式典サポートモデルの確立

日赤 献血253回
・これも積み重ね


2023/06/21

終活(来活)も5年ほど経過

 晩年に入ったことを意識して始めたこのブログ
一般の目にさらせる条件にありながら
幸か不幸かほとんどの人の目に附かず
プライベートな日記になっている

自分としては終点を77-85歳くらいに置いていた
しかしいざ75になって見ると77歳は早い気がしてる
しかしカウントダウンは冷徹に刻み続けているはず
カウントしてみれば3000数日から36000日ほど
悲壮感も焦りも恐怖感もなく
死は誰の下にもやってくる

何かあったら、救急車は呼ばずに
蘇生処置もせず
死を確定してほしい

その時がやってくるまで
執着を捨て
不要物を捨て
身も心も軽やかに
なりたいものです

2023/06/15

時代の変遷 新品2万円の中華タブレット

 思えば40数年前にマイコンに出会ってパソコンになり
今やスマホ、タブレット、ノートPC、デスクトップPC、ゲームPC、ゲーム機
と中身の原理は一緒
しかし改めて新品2万円の中華タブレットを購入して驚きました
動画再生とネットを見類には十分すぎるほどです
耐久性はまだわかりませんが、これがマイコンの時代にあったら
数十億の価値はあるのでしょうね
今やAIが幅を利かせつつありますが
くれぐれもAIの奴隷にはなりたくないものです
そのうちAI信仰が流行りだすかもしれません
コンピュータが普及し始めたころ
コンピュータだから間違うはずはありません・・・
と言い訳することを何度も聞きました
システムを組むのも打ち込むのも人間だから
いくらでも間違いは起きるのですが
AIだって精度は上がっていくでしょうが
何かとんでもないことが起きるような気がします
少なくとも盲目的に受容しては危ないでしょう
直感、予感、第六感は大事です
AIに”悟り”はないでしょう

2023/06/04

信仰とは 善悪地獄論

 聖徳太子は日本に仏教を採り入れた
その意味は神道系日は善悪もなく地獄も存在セず
ご利益信仰ですらなく日本の近代化、高等国家を目指すには
仏教の教えが必要であったのです

それが丁未の乱 曽我と物部の争いでありました
この結果仏教を軸にした国体が出来上がり
真理国家が生まれ、十七条の憲法はまさしく法治国家への礎でした

教科書の歴史では真の意味は触れずに国家権力の争いにしか扱われません
聖徳太子は日本に善悪の概念を与えたのdす
仏教では三帰五戒があるので帰依した以上五戒を守ることが課せられます
不殺生
不偸盗
不邪淫
不妄語
不飲酒
よって三帰してかつ悪いことをしても救われるような教え
(悪人正機説の曲解、誤解釈)
などはあり得ませんでした
こののち、行基菩薩による因果応報・地獄論の布教
空海による堕地獄と信仰心
源信によるリアルな地獄観
などにより古来の武士道ともつながり
日本人の成人文化が開花しました



2023/06/01

感謝は難しい

 私は、すぐ感謝の気持ちをなくします

感謝は努力しなければすぐ忘れてしまいます

そして足らざるを嘆き不満が募ります

しかし、年齢を経ても五体があること

多少動きが鈍くなっても動くこと

朝目が覚め、朝食をとり、通勤する先があり

そこまで自ら移動でき、他の人から邪険にされず

時間を須吾自たら帰る家があること

どれをとってもあたりまではないのに

感謝を忘れ不満を持つ

それこそ罰当たりではある

生まれた時はこの体しか持っていなかったのに


2023/05/30

信仰とは 「善因善果、悪因悪果」

 現代人は真の意味での非科学的な中で生きていると思われます
科学的とは「因果の理法(原因結果)」であり宗教的に言えば「善因善果、悪因悪果」
ということになります
物質的な分野では科学的なもの以外は信じないといって「因果律」を追求しながら
精神的なものではこれを否定します

話は飛びますが「進化論」
人間はアメーバから突然変異を繰り返して人間まで進化した
というが本当に信じられるのでしょうか
物事は放っておけば無秩序に向かうのです
生物が長い時間をかけて進化したことは事実でしょうが
「それが自然に任せてより高度になる」ということが解せません
より高度なものにしていくためにはそれを意図しより高度なものにしていこうとする
意思とたゆまぬ創造の努力が無ければ進みません

4ビットのマイコンが自然に任せていたら16,3264ビットのCPUに進化し
且つ複雑なプログラムを生み出すというようなことを信じられるでしょうか
そこには大勢の有能なエンジニアがCPUのみならずそれを製造する機械装置まで
たゆまぬ努力と時間をかけて成し遂げてきているのです
ましてやそのシステムや素材成分も含めまだまだ解明しきれていない人体程のものがどうやったら自然に創造できるのでしょうか

AIがいくら進んでも創造はできません、過去の膨大な経験則をもとに最善手を導けても電力の供給を止めてしまえばおしまいです、経年変化で老朽化しても、より高性能なチップを開発製造し自ら進化することなどできません
今、人間は自らの霊性を否定し単なる自己増殖性を持つロボットに成り下がろうとしているようです

数学的には20数次元あるいは30数次元まで存在するのではないかと考えられても、信仰を持たなければ4次元の世界の存在ですら否定してしまいます

多くの人々はあの世は見えないので存在せず
死後の世界はないのだと豪語しております
しかしこの世だけでみると「因果の理法」は不完全です
しかし宇宙の理法「因果の理法」は例外がないのです
そしてこの世で帳尻が合わなかった「善因善果、悪因悪果」は
あの世、来世に至って完結します
地獄があるのです

本当はこの世で「因果の理法」が適っていれば地獄はないのですが・・・・・・


2023/05/21

信仰とは

 晩年に入ったなら、こうしたテーマに向き合うべきでしょう

信仰と言うと、信仰の原点はいったいどこにあるかと言うと、私たちが神によって創られたという創造の秘密にあります
私たちが神によって創られたということを信じるか、そして神によって創られた私たちが、永遠の生命のなかで 無限の転生輪廻をくり返しながら魂修行をしているという、その説を信じるか、ということです
この信仰心と言うべきものは、従来使われている信仰心という言葉で表現される内容ではありません。ここでいう信仰は、事実の確認そのものであるということであります
 新実の確認そのものであるということであり、そうした大いなる叡智の断片を見たということであり、仕組みを見たということの確認です
見たという以上、これを知るということ、そしてそれを受け取るということ、了解するということ、そしてこれを信ずるということ、この行為を「信仰」というのであります
信仰というのは、けっして摩訶不思議なものに対して祈ることでも何でもないのです、それはこの宇宙創造の秘密を知り、 人間創造の秘密を知って、そして、それを 納得のいくものとして理解することです
宇宙創造の秘密を知ったならそこに流れる「宇宙の理法」に沿うべきだと考えなければなりません
この宇宙の理法の一つとして「因果の理法」があります
「善因善果、悪因悪果」です、また「縁起の理法」でもあり「代償の法則」でもあります

Bugatti_type_50_coupe

 この年になってIllustratorに挑戦 いろいろ戸惑って 思うようには捗らず しかし操作しなければ慣れず 試行錯誤しながらのサンプルです