76になって
まだ席を譲られることも少なし
今まで歳をとる暇がなかった
時折、体力に不安がよぎる事はあれど、 階段をかけ登って払拭する 昨今、階段一段跳びが苦にならない
この分だとあと10年ぐらいはこの世にいられそうだ
76になって
まだ席を譲られることも少なし
今まで歳をとる暇がなかった
時折、体力に不安がよぎる事はあれど、 階段をかけ登って払拭する 昨今、階段一段跳びが苦にならない
この分だとあと10年ぐらいはこの世にいられそうだ
47歳の時、葬儀社に勤めようと決意
①家族を失った遺族に癒しと何らかの真実を伝えたい
②葬儀に携わる方々に真理を伝えたい
③ITに関することでお役に立てる
④寸志を生活費に回さずお布施にする、 生活費にするといただけないと不平不満になる
今考えても、この念いは正しかったように思います 重要な決断をする時は、無我になって考える そこはいい判断をしてきたのではないかと 振り返ります
その心は
”三法印”
どちらにも欠かせないのは三法印
諸行無常
諸法無我
涅槃寂静
仏陀の教えを象徴するものでもあります
これは宇宙の成り立ちを意味します
創造主は念いによって宇宙空間を創生 諸法無我
次に動きを与えるため時間を発明 諸行無常
そして幸福への方向を与えられた 涅槃寂静
ワープ航行を実現するためには肉体が幽体になることを理解しないと
不可能、肉体のままではアインシュタインの束縛からは逃れられないのです
”縁起の理法”とは仏教の教えではありますが
非常に理性的な、科学的な理法でしょう
実際、生活の中で因縁果を実体験しております
いろいろな悩み事やこれはというようなことに出会ったとき
振り返ってみれば
無意識に思っていたこと、考えていたことが時間をかけ実現したのだと
思ったことが幾度となくありました
ですから心の中で思うこと、考えることは
「良きこと」であろうとすることがとても大事なのだ
と反省したものです
因 心の中の思いこそ、すべての出発点であり
縁 行為が その具現であり
果 幸福が その結論である
ことを信じるということです
このブログを使って
夢を下書きとして記録している
以前の夢録を読むと
覚えていない
読んでいくと確かに、かすかに記憶がある
夢判断はしていないので
それらの夢が何か意味を持っていたのか
因果関係はわからないが
それらの夢を無視するわけでもなく
左右されるわけでもなく
現実の問題を一つ一つ物差しに合わせて
正しい判断をしていこうと思う
夢にもいくつか種類があるようで
非常にリアルな夢もある
この三次元を離れた世界に
出没しアドバイスを受けたり
互いに調整をしたり
議論をしたり
和解したり
いろいろしているような気もする
今晩も何か夢をみるのだろうか
小学校のころ
兄が”三光”という本を手にして太平洋戦争で
日本が散々悪さをしてきたと言っていた
自分は判断すする知恵も常識もなかったので
その解説を鵜吞みにした
その刷り込みは大学まで続いていた
教授からは”朝日ジャーナル」しか読む価値はないと刷り込まれ
自分の左翼的思考は、40代まで続いていた
そこから解放されたのは、Happy-Scienceに出会って
数年してからであった
それほどまでにfilterなしで物事を見ることは難しい
この見方が間違っていれば
判断も狂い
誤った行動になり
世の中がおかしくなって自滅していく
世の中の価値あるものとする
物差しを外して、
自分のいやまっすぐな物差しを使うのは非常に難しい
そのことを自覚するだけでも
違う
この感覚は磨いていきたいと決意した
人間は動物なのだということをいう人がいる
確かに肉体的な機能からすれば 誤りではないでしょう
しかし人間は、霊長類
人間と動物を分けるのものは何でしょう
それは「信仰」を持っているか持ってないか
ですから「信仰」を持たない人間は動物であるというのは正しいかもしれない
「信仰」とは目に見えないものを信じます
それ故にそれを説明、証明するのは困難なことです
しかしそうしたものを信じるのは難しいことですし
勇気がいることです
思えば、尊いことは目に見えないことばかりです
愛、勇気、智慧、慈悲、やさしさ、思いやり、信用、尊敬、・・・
抽象的なるが故理解するには感性、知性、理性を総合した悟性が必要になるのでしょう
昨17日の兵庫県知事選挙の開票と同時に斎藤氏の確定が出ました。 本日18日の集計結果を見ると下表のようになります。 斉藤氏の票がすべて浮動票でほかの候補者がすべて組織票であったと仮定すると 投票率55.7%が53%に下がると接戦52.5%では落選になってしまう。 計算して改めて...