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2019/05/16

一体自分はどんな最後を迎えるのだろう

明日なのか、5年先なのか、10年先なのか、20年先なのか
定かではありませんが
しかしこの世を去るまでのカウントダウンは確実に刻まれています
仕事を入るたびに思います
これが最後の仕事になるかもしれない
決して悲観的にとらえているわけではなく
命があったとしても、おそらくその前に仕事ができなくなるでありましょう

人は死のもとに平等です
誰も逃れることはできません
であるなら、残りの時間を大切に有意義なものにしたいものです

しかし現実を振り返ってみると、つまらないことに自分の残りの時間を
使っている自分が居ます
しかしそれを悔いるより、少しでもたとえわずかな時間でも
価値あるものに変える努力はできます
そして最後はできれば何かに向かって立ったまま息絶えるような
そんなイメージをしています

TOYOTA Automobile Museum
トヨタ自動車博物館
展示風景


 トヨタ自動車博物館所在地
愛知県長久手市横道41-100
敷地面積 46,700m²(約14,000坪)

建築面積
クルマ館 4,800m²(約1,500坪)
文化館 2,700m²(約820坪)
延床面積
クルマ館 11,000m²(約3,300坪)
文化館 8,250m²(約2,500坪)




2019/05/15

恐怖心の克服と心の奥の願望

最近、仕事上の恐怖心が消えず、良性の腫瘍が見つかって
健康を取り戻した方が居ました
もう仕事には出てこれるのでしょうが恐怖心が消えず
多分ここを克服できないと再発するのはないかと思ってしまいます
今はどういう心境かというと、恐怖心と
間をおいてしまったら戻る場所がなくなるのではないという不安
そしてこんなに悩むならいっそう癌にでもなってればよかった
という自己破滅型願望

私も仕事上のプレッシャーや恐怖心を持ったことは幾度もあります
その時、最終的には死んだって人間は魂が生き続ける
自分にとって死んだら何もかもなくなってしまうという恐怖がない
ならば死より恐ろしいものはないのだから恐怖する必要はない
自分が克服できない問題は来ない
であるならば恐怖する対象に真正面から取り組もう・・・・

不思議に真正面から取り組むとなんだこんなことだったのだ
という結果になることが殆どでした
一番気を付けなればならないのは
取り組む事から逃げる自分を合理的に正当化するため
病や事故を呼び込んでしまうことです
表面上出てこない心理なので気が付かずとても厄介な心境です

TOYOTA Automobile Museum
トヨタ自動車博物館


トヨタ IMTSバス (Intelligent Multimode Transit System)
(2005年・日本) Toyota I.M.T.S.Bus (2005, Japan)
2005年愛・地球博で会場内で使用された
ITS(Intelligent Transport Systems)技術を用いて
専用道は無人で自動運転・隊列走行し
一般道は通常のマニュアルで単独走行を行う新交通システム
現代では各社がしのぎを削って自動運転に取り組んでいます

2019/05/14

がり切から謄写FAXへ そして輪転機

コピーの話が続きましたが
若い時組合のローカル製作所の書記長をする機会がありました
東京の本部に行って初めて情報量の差というものを感じました
その時一つ視野が大きくなったというか成長できた気がします
交渉の結果を流すのですがそこで初めて謄写FAXなるものを見ました
鉛筆で書いた原稿をそのままファクシミリの技術を使って原版を作るのです
一体のドラムの片方に原稿、もう一方に謄写原紙を入れて
ドラムを回転させながら原稿から読み取った信号を
謄写の原紙に焼き付けていくのです

そんなことをしながらも
代表として折衝に出席して、決断の重さとか学ぶことや感じることがありました
若い時は本当に機会を与えられたら、失敗してもよいので経験することに価値があります
やってみることで成否の結論が出ますし、次の手を早く打つことができます

成長期の活気のある会社はここら辺が違います
生涯を顧みると、そうした何もないところから立ち上げたり
誕生間もなく黎明期の仕事をする機会を
多く与えられていたことに気づきました
恵まれていたとつくづく思います

TOYOTA Automobile Museum
トヨタ自動車博物館
展示風景



 




2019/05/13

青焼き湿式コピー、乾式コピー

大学を卒業して入社した時のコピーというのは
トレッシングペーパーに鉛筆で書いたものを
感光紙に重ね焼き付けて定着液を通すタイプのもので
文字自体は青色になっていました
(それ以前のものはネガのように青地に白い文字や線になりました)
トナーによる電子コピーなどはまだまだ高価で身の回りにありませんでした
定着が液体からガス式になってコピー後乾かす時間が減ったりしながら
徐々に電子コピーに変わっていった時代です

図面などはA2やA1のtレッシングペーパーに描いて承認をもらいました
当時すでに配転でいなくなっていたセンスの良い先輩の図面を見て
一所懸命真似ていました
記入する文字や各図の配置、何より作ろうとするものの構想が素晴らしかったのでした

現在の先輩にすぐ追いつけるわけはありませんが
先輩が自分と同年の時にどんな仕事をしていたのかを構想し
それを物差しにして、自分の到達目標を決めたような記憶があります

また自分のライバルは今現在周りにいる同僚ではなく
他社のその分野で活躍している方を想定して自分の励みにもしました

組織で大事なのはその中での勢力争いではなく外にある勢力との切磋琢磨なのだ
と思います

TOYOTA Automobile Museum
トヨタ自動車博物館
スポーツカーを3台

ニッサン フェアレディ Z432(1970年・日本)
 Nissan Fairlady Z 432 (1970, Japan)
1969年11月に登場したフェアレディZは
米国日差の主導で企画開発された
ロングノーズショートテイルのスタイルで
装備の充実、割安な価格などで大人気を博した

いすゞ ピアッツァ JR130型 (1982年・日本)
 Isuzu Piazza Model JR130 (1982,Japan)
いすゞの人気車117クーペの後継モデル
ジュジアーロデザインのウェッジ型のボディ

ユーノス ロードスター(1989年・日本)
 Eunos Roadster (1989, Japan)
販売網ユーノス店からユーノスロードスターとして発売
当時、小型オープン2シータースポーツカーは壊滅状態
発売後瞬く間に世界中で大反響を呼び
今ではマツダロードスターとなり世界最多販売を誇る

2019/05/12

新設間もない高校に鎮座した特別待遇の憎きZEROX

私が入った高校は私が8期目の割合新しい学校でした
設備的にはまだまだ十分ではなく
先輩方の体育はグランドの石拾いだったと聞いてました
もちろん冷房などあろうはずがなく中庭の噴水で涼んだという
ですが学校の中で一室だけ冷暖房完備の部屋があったのです
そこには当時300万とかいうzeroxのコピー印刷機があって
先生たちがガリ版を使わずに試験問題を作れるものだから
毎度毎度模擬試験をさせられたような感覚が残ってます

特別待遇の部屋なのでなおさら恨めしかったです
しかしそのおかげで学校の水準は新設校にもかかわらず
いい評価になっていったようです

そういえば学友で尊敬する方が居ました
結果的に東大理一に入った方ですが
私が数学でわからないところを聞くと
嫌な顔一つせず、私を小バカにもせず
しかもわかりやすい教え方で教えてくれました

自分もそうなりたいと思った方で、ほかにも一人いました
青春真っただ中ではありましたが、記憶に残る人格者たちです

TOYOTA Automobile Museum
トヨタ自動車博物館





トヨタ 2000GT MF10型(1968年・日本)
 Toyota 2000GT Model MF10 (1968, Japan)
生産台数は少量でしたがオリジナリティーの高い
美しい本格的スポーツカーです
YAMAHAがエンジンをチューンナップして
製造自体もヤマハだったといわれています
ボンドカーにも採用されたので知名度もあります

2019/05/11

電信柱の警備と見果てぬ夢

東京に出てきて起業の手伝いをしたのですが
やはりなかなか軌道に乗せることができなくて経費を言抑えるために
電話工事の警備をする会社にお世話になりました
起業した会社の仕事が入ったときに対応できるように
様々な工夫をしましたが、日常は悲観的な状況ではありました
それでもなぜか失望はせずに、いつか何か道が開けると思っておりました
ですのでその間も資金が尽きないようにしながらも
同業の会社のアルバイトもしたりしながら
東京で仕事をする上での情報は集め続けておりました

伴侶からは先行きが見えない不安を言われてはおりましたが
生活は何とか維持できましたし、見果てぬ夢であっても
それをあきらめるわけでもなく焦らずにいられたのが
不思議ではあります

起業した会社は一時的にスリープ状態にして、同業社で常雇のアルバイターに
なってさらに一年、起業した会社の再起動には至らなかったのですが
本来目指した仕事をするチャンスに恵まれ女神の前髪を掴みました

思いというものは持ち続けているとやがて現実化してくるという実感は
何度もあります、良くも悪くもです
ですのでその思いが良きものか悪しきものかを
謙虚に欲目を捨ててみることが大事だなとつくづく思います

TOYOTA Automobile Museum
トヨタ自動車博物館


いすゞ ベレット ジェミニ PF50型 (1975年・日本)
 Isuzu Bellett Gemini Model PF50 (1975,Japan)
当時の提携先ゼネラルモ-タース(GM)のグローバルカー
オペル・カデットをベースに日本向けに開発された
この車はクーペですがセダンもシンプルで
スポーティーにドレスアップしたものはスタイリッシュでした



2019/05/10

ジェットストリームとTRIOステレオレシーバー

憧れの空の旅を夢見て
毎晩FM、城達也のジェットストリームを聴いていました
当時はJALが世界に羽ばたく日本を代表する国際便
ヤングメイトとか言って20歳以下だったか安く行けるようでしたが
自分にとってはまだまだ高嶺の花

今思えば市営住宅にいたころ、隣の若旦那さんが大手の電機会社にいたらしく
海外出張をされていました
カラーの写真をスライドで見せてくださっていつか自分もと夢見たものですもう写真は覚えていないのですが飛行機の窓から撮った写真は鮮明に記憶にあります


ですから今でも飛行機に乗ったとき雲でもなんでも撮りたくなります

話は戻しますが、ジェットストリームが聞きたくて兄と共同で
トリオ(後にケンウッドに改名)のステレオレシーバーを購入しました
どちらか先に結婚した方に所有権が移るという約束で
レシーバーだけでしたのでヘッドフォンをつなげて
ジェットストリームのミスターロンリーをHiFiのステレオで堪能して
ました
当時は東海大が試験的にFM東海として放送、試験期間が終わって免許が出ない
というので継続の署名をした覚えがあります

TOYOTA Automobile Museum
トヨタ自動車博物館


トヨタ セリカ TA22型(1970年・日本)
 Toyota Celica Model TA22 (1970, Japan)
わが国初の本格的スペシャルティカー
スタイリッシュな2ドアクーペで
スタイルも性能も水準が高く憧れました

Bugatti_type_50_coupe

 この年になってIllustratorに挑戦 いろいろ戸惑って 思うようには捗らず しかし操作しなければ慣れず 試行錯誤しながらのサンプルです