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2020/07/07

ラスギャード挑戦の中間報告

ラスギャード(ギターの掻き鳴らし)
に挑戦すると決意
YouTubeでレッスンを見て始めたが
日に日にほんの少しづつ早くなっている気がしている
毎日練習しても思うところまでは時間がかかり
本当にものになるのだろうかt疑いつつ

しかしほんの僅かずつ
スピードが上がっている感触がある
不思議な感じ
こうして数か月経って振り返ると
確かにスムーズにかつスピードも上がっている
目標の半分くらいだろうか

一年かけてものにしようと
あらためて決意しました
こうしたものに近道はなく
ただただ練習を積み重ねるだけ

先が楽しみだ
72にしてフラメンコのラスギャード挑戦
いいじゃないか

朝の祈り

職場において毎朝祈りと感謝の時間を取っています

仏陀への経文読誦
根本佛・主への感謝
主を支える諸神霊への感謝
守護指導霊への感謝

ご先祖への感謝
両親への感謝
今世お世話になった親戚への感謝
姉・兄・妹への感謝
先妻・長女・長男への感謝
孫5人への感謝
現在の妻への感謝

日常での隣人の愛
(特には縁がないのに愛をくださった方)
への感謝
(自分もそうした優しさを持てますように)
恩師・上司への感謝(教えていただいた)
代々社長への感謝(生活基盤を支えていただいた)
先輩・後輩・同輩への感謝
(自分を磨いて下さった)

現在仕事を頂いている会社を作ってくださった方への感謝
今の会社を発展するに縁があり過ぎ去った方への感謝
現在の仕事仲間への感謝(地域ごとに一人づつ)

この一人ひとり名前を思い浮かべながら
感謝をささげる時間は貴重かもしれません

そして最後根本佛・主に使命を果たせるよう祈ります

こうした時間を日々取れること自体
恵まれていると思います

現代というある意味黙示禄の時を生きるにあたり
良き時間を持てることへの感謝が湧き起こります




近頃見ないもの

小さい時矢向・川崎に住んでいましたが
水たまりや側溝があったりすると
油が浮いていて虹色が滲んでいました
そういえば最近はほとんど見かけません
汚水処理が進んだせいでしょうか

関連して思い出すのは
そうした町工場の傍を通ると
穴が開いた紙テープを良く拾いました
「鑽孔テープ」(さんこうテープ)や
「穿孔テープ」(せんこうテープ)と
呼ぶものです
第34回 演習コース(2015.5.9開催)

町工場との関連が良くわかりませんでしたが
親会社とのデータのやり取りだったのでしょうか

そういえば非常に原始的な
データ記録なのですが
デジタルデータが直接目で見えるというのは
凄いことですね
名人はこの穴の開いた紙テープを見て
内容が分かったらしいです
今は紙のない世界に行こうとしてますが
当初は紙を大量に消費する世界だったのが
何とも皮肉です
(今でもコンピュータの所為で実際紙を大量に消費している気がしますが)





2020/07/05

街角の名車

手入れの行き届いたMG-B?スポーツ
単なるノスタルジーなのかもしれませんが
この頃の車は気品があって繊細で美しかった
今はドヤ顔で、パワーも装備も性能も格段にいいのでしょうが
何かイマイチです




2020/07/03

市営住宅の環境

その市営住宅今思うと六畳一間から見れば天国でしたが
5人家族が住むには今の基準でいえばやはり無理がありました
しかし余裕が出来たせいかそこで10歳年下の妹が生まれました

今思うと大変な生活で
姉が結婚するまでは2階6畳の畳部屋は両親と妹
2階の3畳半の部屋は兄と私の部屋
1階の6畳板の間はリビングで就寝の時は
畳みを2枚敷いて姉が寝るという
姉が一番遅く寝て一番早く起きるという
生活を強いられていたわけですが
本当にご苦労様でした

風呂はついていなかったのですが
しかし庭があるという
今の基準ではおかしな仕様です

しかし母親は家を持ちたいという願望は強かった様で
私が社会人になってから実現しました
ひとの世話になるのは嫌いなタイプで
もう少し人に甘えた方が良いかなとは思いますが
99歳になった今もそうです
チョットしことで未だに叱られます

母と市営住宅の抽選に通った記憶

まだ就学前だったか
当時住んでいたところは家族5人が6畳一間
今から見えれば凄いところに住んでいました
母に連れられて公営住宅の抽選に行った覚えがあります
その日は横殴りの雨であったり、カンカン照りの暑い日だったり
子供心にもちょっと辛かったように思います

結局川崎市営住宅が当たったのは
小学校3年の頃だったでしょうか

小学校4年までは元の小学校に電車で通いました
今は電車で通学する小学生が珍しくありませんが
当時は珍しかったように思います

通学区間は二駅でした
小学生なのに定期を持っていることが自慢で
駅員さんに話をしてもらったり
駅でガマの油売りを見たり
辛かった覚えは残っていません




クヌギさん

小学校低学年の頃だと思います
クヌギさんという父の友人のお宅へ
2・3度連れて行ってもらいました
父より一回り以上若かった気がします
この方は木製の飛行機模型作りが趣味でした
当時はプラモデルがありませんでしたので
木を削りだして本体や翼、プロペラなども
削り出しておられたように思います

行くとお土産にその作品を頂きました
零戦でしたが精巧でプロペラも息を吹きかけると
よく回転し飽きずに遊びました
この方に一度飛行機の絵を描いてもらい
それを真似して何度も練習した覚えがあります

多分大学生の頃だったか
ある日その方クヌギさんが亡くなったと
父から聞かされ懐かしさと
またすごく寂しさを感じました
それは無常観だったのかもしれません

最近は自分よりも若い方の訃報に接することが
増えてきました
皆、長生きを望むものでしょうが
それは周りから知人友人が消えていくことに
耐えなければならないという事です

やはり生涯現役で社会貢献に忙しく
さっと逝くのが幸せなんだろうと思います




Bugatti_type_50_coupe

 この年になってIllustratorに挑戦 いろいろ戸惑って 思うようには捗らず しかし操作しなければ慣れず 試行錯誤しながらのサンプルです