意識されている方はほとんどいないでしょう
開発されている方々は意識するでしょうが
まだマイコンといった言葉が生きていた時代 1970年代半ばでは
直接CPUのマシン語(機械語)を使ってプログラミングしてました
ビルゲーツがアップルのBASICを開発している頃です
当時製造設備機械にもマイコンを使ったシーケンサーなるものが出始め
オムロンのシスマックなるものを手掛けたことがあります
導入した機械に使われていたためそのメンテナンスを担当
ところがメモリーが今では見かけることが全くない
ワイヤードメモリーという原始的なもので
電源から大きなノイズが入ると記憶が飛んでしまうという
トンデモない代物でした
記憶が飛ぶ度に1024ステップの機械語みたいなコードを
8個のスナップスイッチで8ビット単位で入れていくのです
お陰で8ビット 0000 0000から1111 1111まで
2進数を体で覚えてしまいました
そんな代物が今や個人用のコンピュータ(スマホ等も)といえど
しゃべった言葉を文字に変換したり翻訳したりするのですから
半世紀の歩みというものはキリスト生誕後の時代の変化としては
最も激しい時代であったのではないでしょうか
最初は機械語以外理解できなかったマイクロコンピュータが
進化を遂げ人間に近づき
今やしゃべった言葉に反応するまでになりました
この先はますます処理能力も上がりAIで賢くなっていくでしょう
しかしAIに支配されたくはありません
何とかこれからの世代の方にも頑張っていただきたいと思います
HINO AUTO PLAZA
会場鳥瞰
東京瓦斯電気工業時代の1938年に 航研機を製造
周回連続距離11,651kmという当時の世界記録を達成した
5分の1の模型です
一時はこうした小型車も製造していました