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2019/09/13

蛍と蚊帳

幼少の頃蛍をよく見ました
薄暗い川にかかった橋の上から蛍の光を見ましたし
蚊帳を吊って蛍を蚊帳の中に入れて電気を消すと
蛍の点滅が楽しめました

蚊帳も見かけません
しかし開発途上国では非常に重宝されているという話も聞いたことがあります
私が3・4歳の頃のことですからうろ覚えですが
暑くて寝付かれない私に子守唄を歌いながら団扇であ仰いでもらった記憶があります

今語ると風流ですが
やはり現代の快適さには勝てません
クーラーのない生活など考えられませんし
当時は扇風機でさえお金持ちでないと買えませんでした

現代原発に反対している人たちは
このような生活に戻りたいのでしょうか
実際日本では原発事故で、一般の方が亡くなったことはありません
先般の福島の原発も当時の首相の判断ミスで起きたようなものです
今日本で原発を止めてしまったらどうエネルギーを確保するのでしょうか
中東からの長いエネルギー供給ルートをどうやって維持するのでしょうか

今 近隣の国々は決して紳士的ではなくはっきり言って893と同じです
893には警察が必要です
国レベルでいえば軍隊です

消費税を10%にするなら国民の財産と生命をしっかり守ってもらいたいものです

HINO AUTO PLAZA
再び
東京瓦斯電気工業時代の1938年に 航研機を製造
周回連続距離11,651kmという当時の世界記録を達成した
5分の1の模型です


これで日野オートプラザは終わりです
次は NISSAN-Heritage-Collection
です

2019/09/10

ホームルーム

高校1年の時でしたか
ホームルームの時間があり、担任が国語の教諭だったこともあってか
その時間、順番に自分の話したいテーマを決めて発表するという事をやっていた
私は何を話すか悩んだのですが、「猫」を取り上げました
図書館でいろいろ調べたりしながら
西洋での猫の迫害史だとか、猫と犬の飼い主に対する態度の違い
猫の鉱物のマタタビなどを取り上げて話したように思います

その中で印象的だったのは猫と犬の飼い主に対する態度の違いです
猫はあくまでも飼い主と対等で、気位も高く媚びません
犬は、飼い主に従順で、散歩の時も飼い主の顔色を伺いながらという感じもします

ある本に書いてあったのですが
猫は女性の象徴であり、犬は男性の象徴である
確かに、猫は気位が高く、気難しく、昼寝が好きで、起きたらすぐ顔の繕いをします
犬はその従順さが哀れなほどであったりします、しかし飼い主の危機には
自分の身の危険も顧みず主人を守ることもします
教科書の進化の過程を信じると猿が人間に近いことになるのですが
実は人間のそばにいる猫や犬が、人間の感情を理解し、精神的には最も進化しているのだ
という説に何か納得してしまいました


HINO AUTO PLAZA
模型ですが

日野GTプロト(1996)
コンテッサはリアエンジンでしたが
このプロトはミッドシップレイアウトは本格的なレーシングカーです

HINO SAMURAI(1967)
スタイルが流麗で、今でも人気が高いです
当時乗用車メーカーはレーシングカーの開発を競っていました

2019/09/09

才能も大事だが長く持続する人にはかなわない

自分に才能がないので悔し紛れに言うわけではありませんが
才能とまではいわなくとも、呑み込みの早い、できそうな方がいます
一緒に仕事を覚え始めてもその方の方が出来が良くてコツもつかんで
スマートに仕事をこなしているのを見て凄いなと思います

かたや、どんくさく、呑み込みは悪いし、どうしようもないなと思っていると
その人、毎日毎日一所懸命練習をしたり、先輩に熱心に聞いたり
とにかく倦まず弛まずやってます
どうしてこの仕事を選んだのと聞くと
この仕事好きなんです、前からやりたかったんです
とおっしゃってました

半年一年と経つと
どんくさかった方がお客様から評判がよかったり
意外に呑み込みが早くて凄いなと思ってた方が
お客様から重大クレームをもらったり
逆転することがありました

そうしてみると
やはり、毎日毎日努力している方の積み重ねというか
蓄積された力というものはいずれ実績を上げるものだという事を
まざまざと見せられたことがありました


HINO AUTO PLAZA
中島「光」エンジン






2019/09/08

御幸公園のテレビジョン

もう60数年前の話 私が4・5歳の頃でしょうか
買い物だったのかおふくろさんに連れられて川崎駅にいくのですが
夕方の帰りに御幸公園を通ります
公園の前には人集りがしていて、公園のど真ん中にあるテレビジョンに見入ってました
今思えば戦後復興のある意味活気ある貧しい時代です
テレビジョンでは力道山の空手チョップが炸裂すると観客が歓声をあげるという
今思えばシュールなシーンです

当時は映画館でも、時代劇のヒーローが悪者を成敗すると
観客が拍手をしたり、歓声を上げたり銀幕と一体になって高揚してました
あるい意味大人たちも純真だったのでしょうか

しかし現代、皆小利口になり、すべてを知り尽くしたような言動をしながらも
善因善果、悪因悪果みたいなシンプルな真理を理解できないのは
精神的には退化しているのかもしれません


HINO AUTO PLAZA
ル・ローン80馬力エンジン(大正9年)
Re Rohone 80HP(1920)
Air Cooled Radial Aircraft Engine
エンジン本体をプロペラと一緒に回転させる
今ではお目にかかれないスタイルの
星型航空エンジンです









2019/09/06

仕事が何となく億劫になるとき

やはり年齢を重ねてきて
努力しなければ維持できなくなるものがあります
以前だったら思い立ってすぐはじめられたものが
だんだん手を出すまでの時間が延びている感じ
多分そのまま流されているとドンドン何もしなくなってしまう
恐れを感じます

ある96歳の元気なご婦人が仰ってました
歩くこにとも努力感がいるって
歳をとるという事は、何事にも自ら奮起努力しないと
固まっていくのかもしれません
だから、努力感を待たなくて済むよう自分の楽しみとして
体を動かし頭を回転させることが大事なのだな
と少しだけ分かりかけてきました

HINO AUTO PLAZA
「初風」ハ11型空冷倒立4気筒航空エンジン






2019/09/04

自分がめげているときに勇気づけられた誌

原文は英語で「砂の足跡」 とか 「あしあと」 とかで紹介されています
作者を名乗る方は複数いらっしゃるようですが、それには立ち入りません
簡単に内容を書いてみますと

ある男性が夢を見ます
神様と並んで砂浜を歩いています
自分の人生が空に次々と映し出されると
どの場面でも砂の上には二人の足跡が残っています
しかし自分が人生で一番つらい目にあっていた時
足跡は一人分しかありませんでした
男性は神様に「なぜこの時私を見捨てたのですか?」
と聞きます
神様は答えます「その時、私はあなたを背負って歩いていたのだ」


夢の中なら神様にあうこともできますが
日常では見ることも話すこともできません
しかし過去、ふと、見えない存在がさっき助けてくれた、教えてくれた
と感じてしまったことがあります
私の場合助けてくれることもあるのですが
道を外しそうなとき
思ってもいないシチュエーションで恥ずかしい思いをしたり
何かが起きてできなくなったりしたこともあります

自分はどんな時でも独りではないんだと思うと
人生の困難苦難な時も何とか切り抜けようと自分を激励することが出来ました
そう 自分に解決できない問題は与えられないと言い聞かせて

目に見えない存在ばかりでなく、普段はそんなに接触もないのに
自分が困っているときに貴重な言葉をかけてくださったり
あるいは自分で気が付かぬまま、自分をサポートしてくれていた
という事を後で知ることもありました

自分は独りなんだ、だれも自分を理解してはくれないんだ
とは思わずに、いつも遠くから自分を見てくれている存在があるのだと
信じて生きる方が 幸せだと 私は思います

HINO AUTO PLAZA
ちよだEC型エンジン(昭和12年)
こちらは戦車用に開発されたようです


現代のようなエンジンの形に落ち着くまで
いろいろなタイプのエンジンも作られていたのですね


 商工省標準型車エンジン(昭和12年)





2019/09/03

お墓をどうするか

来活(終活)にはお墓の検討が欠かせません
今はお墓そのものを持たない考え方も広まってきてます
しかし従来のお墓、特に菩提寺のお墓は離れていく傾向にあるようです

私自身はお墓が大事だと考えてますので
菩提寺の納骨堂の中にある納骨壇を求めました
数百年続いてきた伝統的な祀り方には意味があったはずです
単に迷信や風俗で片付けられることではなく
現代人には意味が分からなくなってきたにすぎないのではないか

私は理系の人間ですが五感で感知できるものがすべてである
という考えは致しませんので、自分なりに意義を認めて準備しました
私の結論としては、いろいろな事象を説明するのに
あの世があると考える方が合理的だという事でした

そこに至るきっかけは前妻の義父の不幸な逝去でした
わからないがゆえに不安や、理由にない恐怖心、などが起き
数年間「死」に関する諸々の本を読んで得た結論が上記のことです
決して人に押し付けはしませんが、今、揺れることなく
来活(終活)を準備できるのもこのおかげです

今世いかにして終わるかが来世、来々世につながります

HINO AUTO PLAZA
名神高速道路の開通を迎え
高速バスの時代に入る
そのために水平対向12気筒ディーゼルエンジン
DS120型を開発

こちらはEF100型ディーゼルエンジン(昭和46年)
V813L 206KW(320HP)


EP100型ディーゼルエンジン(昭和56年)
8.8L 209KW(285HP)





2019/09/02

好きだな自分の人生


今のところ
他人から見て何も評価するものがないかもしれませんが
ですが、自分で褒めるしかないので・・・
あえて 好きだな自分の人生 と思います

紆余曲折がありました
有頂天になったこともあります
そして挫折も味わいました
しかし人生の後半になって
自分が心底価値あるものと思うものに 出会うことが出来
つくづく運が良かったと思います

まだまだ残りの人生、気は許せませんが
私は幸運に恵まれていると 思います


HINO AUTO PLAZA
小型三輪車 ハスラー(昭和33年~)
三井精機工業株式会社製の三輪車バンビーを
日野がハスラーとして販売
東南アジアに輸出して
タクシーなどとして使われたそうです


あらためて 何のためにブログを綴っているのだろう

ブログをはじめて8か月ほどになりました
すぐ書くタネが尽きて空いてしまうのかなと思っておりましたが
そこそこつまらないことを、何かタネを見つけて書いてこれました

あらためて何のために書いているのだろうと
自分は年齢的に何時逝ってもおかしくない年齢になってきました
まだ何か目標をもってするにしても前途洋洋ではありません
前を向いていくのですが、しかし過去に目を向けて
気持ちの上で清算しておかなければならないことがあれば
片付けなければいけないと思っています

何かを思い出すたびに書き留めることによってその時の状況や心境を思い出します
ここでは他人の目を気にしますのですべてをさらけ出して書く勇気はないのですが
ブログには書いていないことが頭に浮かんできます
そしてそれが自分の振り返り、反省になります
もう直接に謝ることが出来ない人
心から感謝を述べたいが伝えることが出来ない人
その時なぜもっと親切にしてあげなかったのかと後悔する場面
いろいろなものが湧き上がってきますが
こうして書いていると今まで気づかなかった
身内だけでなく、縁もなかった他人からの思いやりやなどを見つけることもあります

いずれ逝くわけですが、それまでに誰かに恨みを残すようなことはせず
いい人たちに恵まれた、結局自分は幸福な人生を生きることが出来た
と思いながら彼岸へいきたいと思います

しかしお国のために、まだまだしばらく税金を納めていくぞと 思ってます

HINO AUTO PLAZA
コンテッサ用の1500ccエンジン(昭和41年)
市販されることはありませんでした

コンテッサ1300用のGR100型エンジン


コンテッサ900用のGP20型エンジン(昭和36年)


2019/09/01

身長は縮むもの

身長は一日の中でも変化します、因みに朝起きてすぐ測りその日の夕方測ると
結構差が出たりします
健康診断で身長測定もするのですが、60代過ぎてある時身長が思っていたより
コンスタントに小さくなっていることに気が付きました
例えば以前は165ちょっと(プラス側)だったのが
今は165ちょっと(マイナス側)どちらかといえばほゞ164

身長は毎日測ることなどしませんが、まだ縮む予感はあります
これも年齢を重ねていくうえで避けられないことなので達観するしかありません
まだまだ若い気でいても鏡や写真で見る自分の姿は年相応です
現実はシカト認めつつ、しかし気持ちはやりたいことを抱えて
その実現に向けて足を出そうと心がけています

自分だけの力で到底どうにかなるものではありませんが
子供たちや孫たちの世代に 停滞から脱出した、世界のリーダになっているような
日本を残したいと思ってます

HINO AUTO PLAZA
HNO Renault 4CV(1953)
ルノー4CV(昭和23年)
戦後日産がオースティン
いすゞがヒルマン
日野がルノーと提携し
国産のトヨタとともに
日本のモータリゼーションの発展に備えた




2019/08/31

テレパシー

過去テレパシー的なものを実感したことが何度かあります
機械で挟まれて鼻の怪我をしたとき家族は早い帰宅を予感してました
身近な人が不在であったのですがありありとした映像を見たこともあります
自分が苦境にあったとき誰かが祈ってくれていることを実感したこともあります
自分の友人が職場で苦しい時その心境が手に取るように感じたこともあります
うちの奥様は私以上にこうした経験はあって、別に不思議なことでもありません

こうしたことは多かれ少なかれ誰もが経験しているはずです
しかし偶然だとか、寝ぼけていたとか、風邪薬の所為で幻覚を見たとか
もっともらしい理由を見つけて、忘れてしまいます

こうした6thセンサーが退化してきたのが現代です
測定器では現れない種類の波があってある種のデータ送受信をしているのかもしれません
人は見たり聞いたり触ったりできないものはないものだと思い込みますが
人間の見える範囲の周波数の光など、実在する光のバンドから見れば
ごくごく一部のものです

何が言いたいかというと我々を取り巻く環境には感知できないエネルギー波が
いたるところ飛び交っているのではないかという事です

HINO AUTO PLAZA
HINO Contessa 900 Sprint(1962)
コンテッサ900スプリント(昭和37年)
流麗なボディーはドンジョバンニ・ミケロッティ
残念ながら市販化されずに・・・











要領が悪く鈍だった自分

小さいころ兄からは運動神経が鈍いとか
要領が悪いとかよく言われてました
確かに高い階段から下を見下ろすと足がすくんでしまったり
駆け足が遅かったり
泳ぎもできなかったり
キャッチボールも暴投
バットを持てば三振
・・・・・・・・・・・・
書き出せばきりがないくらい

でも要領が悪かったから
試験の山をかけるなどという事も出来ず
普段からコツコツする癖がつきました
知能テストなるものも小学校で受けましたが
先生からもうちょっといいはずだといわれましたが
頭もそんなに良くはなかったように思います

50近くなってから周りの人の体力が落ちて
その割に自分は落ち方が少なく相対的に追いついてきた感じがします
再婚するとき嫁さんに健康センターに連れていかれ
身体性能の検査を受けましたら、測定者が「何か運動をしてますか?」
「いや、何もしてません」と答えたら驚かれました

人生長くやってくるといつの間にか逆転することもあるので
諦めてはいけない、棺桶に入る時が勝負だ と思うことにしてます

HINO AUTO PLAZA
Hino Contessa 900 sedan(1961)
コンテッサ900セダン(昭和36年)



Hino Contessa 1300 coupe(1965)
コンテッサ1300クーペ(昭和40年)
なかなか優美なクーペでした






2019/08/28

井戸端会議

 学生時代、狭い市営住宅に住んでいました
鉄筋の長屋みたいな感じでしたが猫の額のような庭があり
親父がいろいろ池を作ったりバラのアーチを作ったりしてました

そんなことで近隣の方とも交流が深くておふくろは内職をしたりしながら
午後奥様方が集まってはお茶とお新香で井戸端会議を繰り広げておりました
話の内容は覚えてませんが、たまたま早く帰ったときなど話を聞きながらお茶を
飲んでた覚えがあります
現代ではどこかのお宅というよりファーストフードやスーパーのイートイン
などに移ってましょうか

女性のコミュ力というのはすごいもので
会社の中でも結構なところまで情報を握ってます

今後仕事は順々にAIにとって代わられていくでしょう
しかしAIには苦手な領域があります
①クリエイティブな領域
②組織をマネジメントする能力
③営業や交渉能力
辺りがAIにとって代われないものです

この井戸端会議の楽しさなどもどうなんでしょうか
AI相手では楽しめないものでしょう
またこのコミュ力を味方につけないとマネジメントも難しいのではないでしょうか

HINO AUTO PLAZA
HINO BonnetBonnet BUS TypeBH15(1966)
日野ボンネットバスBH15(昭和41年)

この頃は女性の車掌さんが肩からバッグを下げ
ドアの開け閉めや切符を切っていました






Bugatti_type_50_coupe

 この年になってIllustratorに挑戦 いろいろ戸惑って 思うようには捗らず しかし操作しなければ慣れず 試行錯誤しながらのサンプルです