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2019/09/02

あらためて 何のためにブログを綴っているのだろう

ブログをはじめて8か月ほどになりました
すぐ書くタネが尽きて空いてしまうのかなと思っておりましたが
そこそこつまらないことを、何かタネを見つけて書いてこれました

あらためて何のために書いているのだろうと
自分は年齢的に何時逝ってもおかしくない年齢になってきました
まだ何か目標をもってするにしても前途洋洋ではありません
前を向いていくのですが、しかし過去に目を向けて
気持ちの上で清算しておかなければならないことがあれば
片付けなければいけないと思っています

何かを思い出すたびに書き留めることによってその時の状況や心境を思い出します
ここでは他人の目を気にしますのですべてをさらけ出して書く勇気はないのですが
ブログには書いていないことが頭に浮かんできます
そしてそれが自分の振り返り、反省になります
もう直接に謝ることが出来ない人
心から感謝を述べたいが伝えることが出来ない人
その時なぜもっと親切にしてあげなかったのかと後悔する場面
いろいろなものが湧き上がってきますが
こうして書いていると今まで気づかなかった
身内だけでなく、縁もなかった他人からの思いやりやなどを見つけることもあります

いずれ逝くわけですが、それまでに誰かに恨みを残すようなことはせず
いい人たちに恵まれた、結局自分は幸福な人生を生きることが出来た
と思いながら彼岸へいきたいと思います

しかしお国のために、まだまだしばらく税金を納めていくぞと 思ってます

HINO AUTO PLAZA
コンテッサ用の1500ccエンジン(昭和41年)
市販されることはありませんでした

コンテッサ1300用のGR100型エンジン


コンテッサ900用のGP20型エンジン(昭和36年)


2019/09/01

身長は縮むもの

身長は一日の中でも変化します、因みに朝起きてすぐ測りその日の夕方測ると
結構差が出たりします
健康診断で身長測定もするのですが、60代過ぎてある時身長が思っていたより
コンスタントに小さくなっていることに気が付きました
例えば以前は165ちょっと(プラス側)だったのが
今は165ちょっと(マイナス側)どちらかといえばほゞ164

身長は毎日測ることなどしませんが、まだ縮む予感はあります
これも年齢を重ねていくうえで避けられないことなので達観するしかありません
まだまだ若い気でいても鏡や写真で見る自分の姿は年相応です
現実はシカト認めつつ、しかし気持ちはやりたいことを抱えて
その実現に向けて足を出そうと心がけています

自分だけの力で到底どうにかなるものではありませんが
子供たちや孫たちの世代に 停滞から脱出した、世界のリーダになっているような
日本を残したいと思ってます

HINO AUTO PLAZA
HNO Renault 4CV(1953)
ルノー4CV(昭和23年)
戦後日産がオースティン
いすゞがヒルマン
日野がルノーと提携し
国産のトヨタとともに
日本のモータリゼーションの発展に備えた




2019/08/31

テレパシー

過去テレパシー的なものを実感したことが何度かあります
機械で挟まれて鼻の怪我をしたとき家族は早い帰宅を予感してました
身近な人が不在であったのですがありありとした映像を見たこともあります
自分が苦境にあったとき誰かが祈ってくれていることを実感したこともあります
自分の友人が職場で苦しい時その心境が手に取るように感じたこともあります
うちの奥様は私以上にこうした経験はあって、別に不思議なことでもありません

こうしたことは多かれ少なかれ誰もが経験しているはずです
しかし偶然だとか、寝ぼけていたとか、風邪薬の所為で幻覚を見たとか
もっともらしい理由を見つけて、忘れてしまいます

こうした6thセンサーが退化してきたのが現代です
測定器では現れない種類の波があってある種のデータ送受信をしているのかもしれません
人は見たり聞いたり触ったりできないものはないものだと思い込みますが
人間の見える範囲の周波数の光など、実在する光のバンドから見れば
ごくごく一部のものです

何が言いたいかというと我々を取り巻く環境には感知できないエネルギー波が
いたるところ飛び交っているのではないかという事です

HINO AUTO PLAZA
HINO Contessa 900 Sprint(1962)
コンテッサ900スプリント(昭和37年)
流麗なボディーはドンジョバンニ・ミケロッティ
残念ながら市販化されずに・・・











要領が悪く鈍だった自分

小さいころ兄からは運動神経が鈍いとか
要領が悪いとかよく言われてました
確かに高い階段から下を見下ろすと足がすくんでしまったり
駆け足が遅かったり
泳ぎもできなかったり
キャッチボールも暴投
バットを持てば三振
・・・・・・・・・・・・
書き出せばきりがないくらい

でも要領が悪かったから
試験の山をかけるなどという事も出来ず
普段からコツコツする癖がつきました
知能テストなるものも小学校で受けましたが
先生からもうちょっといいはずだといわれましたが
頭もそんなに良くはなかったように思います

50近くなってから周りの人の体力が落ちて
その割に自分は落ち方が少なく相対的に追いついてきた感じがします
再婚するとき嫁さんに健康センターに連れていかれ
身体性能の検査を受けましたら、測定者が「何か運動をしてますか?」
「いや、何もしてません」と答えたら驚かれました

人生長くやってくるといつの間にか逆転することもあるので
諦めてはいけない、棺桶に入る時が勝負だ と思うことにしてます

HINO AUTO PLAZA
Hino Contessa 900 sedan(1961)
コンテッサ900セダン(昭和36年)



Hino Contessa 1300 coupe(1965)
コンテッサ1300クーペ(昭和40年)
なかなか優美なクーペでした






2019/08/28

井戸端会議

 学生時代、狭い市営住宅に住んでいました
鉄筋の長屋みたいな感じでしたが猫の額のような庭があり
親父がいろいろ池を作ったりバラのアーチを作ったりしてました

そんなことで近隣の方とも交流が深くておふくろは内職をしたりしながら
午後奥様方が集まってはお茶とお新香で井戸端会議を繰り広げておりました
話の内容は覚えてませんが、たまたま早く帰ったときなど話を聞きながらお茶を
飲んでた覚えがあります
現代ではどこかのお宅というよりファーストフードやスーパーのイートイン
などに移ってましょうか

女性のコミュ力というのはすごいもので
会社の中でも結構なところまで情報を握ってます

今後仕事は順々にAIにとって代わられていくでしょう
しかしAIには苦手な領域があります
①クリエイティブな領域
②組織をマネジメントする能力
③営業や交渉能力
辺りがAIにとって代われないものです

この井戸端会議の楽しさなどもどうなんでしょうか
AI相手では楽しめないものでしょう
またこのコミュ力を味方につけないとマネジメントも難しいのではないでしょうか

HINO AUTO PLAZA
HINO BonnetBonnet BUS TypeBH15(1966)
日野ボンネットバスBH15(昭和41年)

この頃は女性の車掌さんが肩からバッグを下げ
ドアの開け閉めや切符を切っていました






マシン語、機械語

今PCを使っているほとんどの人はCPUだとかその命令コードとか
意識されている方はほとんどいないでしょう
開発されている方々は意識するでしょうが

まだマイコンといった言葉が生きていた時代 1970年代半ばでは
直接CPUのマシン語(機械語)を使ってプログラミングしてました
ビルゲーツがアップルのBASICを開発している頃です

当時製造設備機械にもマイコンを使ったシーケンサーなるものが出始め
オムロンのシスマックなるものを手掛けたことがあります
導入した機械に使われていたためそのメンテナンスを担当
ところがメモリーが今では見かけることが全くない
ワイヤードメモリーという原始的なもので
電源から大きなノイズが入ると記憶が飛んでしまうという
トンデモない代物でした
記憶が飛ぶ度に1024ステップの機械語みたいなコードを
8個のスナップスイッチで8ビット単位で入れていくのです
お陰で8ビット 0000 0000から1111 1111まで
2進数を体で覚えてしまいました

そんな代物が今や個人用のコンピュータ(スマホ等も)といえど
しゃべった言葉を文字に変換したり翻訳したりするのですから
半世紀の歩みというものはキリスト生誕後の時代の変化としては
最も激しい時代であったのではないでしょうか
最初は機械語以外理解できなかったマイクロコンピュータが
進化を遂げ人間に近づき
今やしゃべった言葉に反応するまでになりました
この先はますます処理能力も上がりAIで賢くなっていくでしょう
しかしAIに支配されたくはありません
何とかこれからの世代の方にも頑張っていただきたいと思います


HINO AUTO PLAZA
会場鳥瞰
東京瓦斯電気工業時代の1938年に 航研機を製造
周回連続距離11,651kmという当時の世界記録を達成した
5分の1の模型です

一時はこうした小型車も製造していました




2019/08/26

不完全燃焼感の夏休み

大学二年目の夏休み
その前の年にクラスの仲間と海水浴に泊りがけでいったので
資金を作ろうとアルバイトに励みました
しかし私には声がかからず、ほかに行く当てもなく
悶々とひと夏を過ごしたことがありました
夏休みが終わって新学期が始まっても気持ちの上で不完全燃焼感が半端なく
ヤル気が出るまで時間がかかったような記憶があります

今振り返ると自分はコミュニケーションが得意ではなく
経済的なゆとりもなかったので仲間の付き合いも密でなかったように思います
仲間からの誘いがなかったことにガッカリはしましたが
それを根に持つようなこともなかったと思います

夏というのは太陽も高く、暑く、体内には熱くエネルギーが貯まっているものです
それを出す機会がないと、夏の終わりにこんなにも寂寥感が漂うものなのだと
思い知りました

日本では四季が明確にあります
この季節感というものが日本人の特性を生み出している要素の一つなのでしょうか
夏は暑くて汗が吹き出し、木陰がないことを恨んでも
冬は凍えるような寒さに震えて身をすくめても
春秋の丁度よい日々がわずかであっても

やはり毎年 春夏秋冬がある日本に生まれてよかったな
とつくづく思います

HINO AUTO PLAZA
ジオラマ トレーラーバスT11B+T25型(昭和22年)



ジオラマ チヨダTX35型トラック(昭和7年)



Bugatti_type_50_coupe

 この年になってIllustratorに挑戦 いろいろ戸惑って 思うようには捗らず しかし操作しなければ慣れず 試行錯誤しながらのサンプルです