しかしその年はまだ実習が続き、ほかの会社に勤めた学友と比較して
焦りがありました
まだ一人前の仕事にありつけない
そんな悶々とした時を過ごしていたように思います
そして生産技術に配属されしばらく無我夢中でやっていました
入社して2年くらい経った頃でしょうか製作所所長が代わりました
それまでの嫌味な商売人である銀行マンの所長から
実直な技術畑の所長になっていろいろ気にかけてくださいました
仕事中所長室に呼び出され、神妙に伺うと話をしながら
本を読めと、返しに行くたびに読むべき本を与えてくださったのです
そんなこともあって学校を卒業してからも専門誌は欠かさず目を通し
苦手な英語を少しでも補うために英語の専門誌なども定期購読してました
それが直接自分の利益になった感覚はあまりありませんが
自分は技術者として一流になりたいという欲求は強かった気がします
その会社は技術的には最先端分野のものではなかったので
それ一本で世の中に通用するところにはいませんでした
意に反して開発や製造、管理課など配置転換を受け
結果的にはゼネラリストの道に乗せられたのかなと
今では思います
自分は放っておけば機械相手に
一人でコツコツと仕事をすることにはまってしまいがちなので
今世、嫌でも人と向き合わなければならないように
導かれた気もします
Nostalgic 2days 2017
ロータス7 タイプ4
元々レーシングカーであった小型軽量なシャシーに
いろいろなエンジンを載せています
いろいろなエンジンを載せています
今はレプリカでスズキの軽のエンジンを載せた
軽自動車まで出ています
こういう小型の粋なタイプが自分の好みでもあります
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