仏教、キリスト教、イスラム教、さらにそれらがいくつにも分派して
さらにヒンズー教や儒教そして土着のものまできりがありません
日本の方々は「私は特定の信仰を持ってません」と言われます
確かに今や葬儀でもお坊さんや神主さんを呼ばずに無宗教葬とかされます
しかし形を変えた信仰を持ってらっしゃいます
「科学信仰」教科書で習ったもの以外は信じない
五感で感じるもの以外は存在しない
「医療信仰」お医者様のいう事は絶対、その処方による「薬」に帰依
しかしお医者様は統計的な結論から悲観的なことしか仰いません
「学歴信仰」 最終学歴によって身分さえ上下を確定してしまいます
特にこれが強いのはお隣の韓国です したがって受験戦争は熾烈を極めるようです
後は「ブランド信仰」特定のメーカーやブランドや「商品」、ライフスタイルなどに
対する信仰すりは崇拝があります
勿論これらを信仰論として一緒に論ぜるものではありません
本来信仰とは目には見えない五感では知覚できない崇高なものに対する
信仰崇拝でしょう
しかし現代では五感で知覚できない喪に対しての信仰は持たずあくまでも
この世的な価値に対する信仰になってしまっています
ある意味精神的な面から見れば 退化しているのでしょう
かくいう私もそうした面が非常に強かったことを覚えています
ある時に目に見えないことに対する恐れから探求を始めました
そして今は私物に対する信仰心を持てるようになったと認識してます
おそらく真の終活ー>来活にはこの点が欠かせないように思ってしまいます
NISSAN-Heritage-Collection
日産ヘリテージコレクション
会場に入ったところの景観
ダットサン貨物車仕様図(1935)
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